平日に夫婦でタイミングを合わせて有給休暇を取った。
子どもたちをいつも通り送り出し、午前中の静かな自宅で少し息を抜いたあと、「せっかくだから普段は行けない平日のランチでも食べに行こう」という話になった。
お寿司としゃぶしゃぶで迷い、結果向かったのは、近所のしゃぶしゃぶ店だ。
休日の昼時や週末の夜であれば、ファミリー層や学生グループでごった返す店内も、平日の昼下がりとなると客足は落ち着いている。
案内された窓際の明るい広いボックス席に腰を下ろし、タッチパネルのメニュー画面を開いた。
私の視線は自然と、一番目立つ位置に表示されていた「ランチしゃぶしゃぶ食べ放題コース」に向かった。
一人あたり2,000円から2,500円前後。豚肉や牛肉が何皿でも注文できる、ごく一般的なコースだ。
平日にわざわざ休みを取って来たのだから、少し贅沢をして、腹いっぱい肉を食べるのも悪くない。
そう思って「食べ放題にしようか」と妻に声をかけた。
だが、妻はメニューの端にある別の枠を指差した。
「お肉は定量のランチで十分じゃない? 今日、普段1,350円のセットが1,000円になってるよ」
画面を見ると、牛肉や豚肉の皿数が決められている「定量ランチ」が、期間限定のキャンペーンで税込み1,000円ポッキリに値下げされていた。
正直なところ、一瞬だけ迷いがあった。
せっかくの有給ランチで、たった数皿の肉で足りるのだろうか。
途中で物足りなくなって後悔するのではないか。
そんな貧乏くさい心配が頭をよぎったのだ。
しかし、妻の「そんなにたくさんのお肉、もう食べられないでしょ」という落ち着いた一言に納得し、私たちは二人ともその1,000円の定量ランチを注文することにした。
結果から言えば、この選択は大正解だった。
それどころか、食後にはこれ以上ないほどの満足感と、お金の使い方に関する静かな発見が残ることになった。
1. テーブルに運ばれてきた「適量」の肉と、広大なビュッフェ
注文して数分後、テーブルに基本の出汁が入った鍋と、決められた分量の肉の皿が運ばれてきた。
一人前あたり、薄切りの肉が数枚。食べ盛りの若者や、とにかく肉だけを詰め込みたい人から見れば、いかにも物足りなく映るボリュームかもしれない。
だが、席を立ってビュッフェコーナーに向かった瞬間、その懸念は綺麗さっぱり消え去った。
肉こそ追加注文できないものの、店内のビュッフェコーナーにある食材は、食べ放題コースを頼んだ客とまったく同じように利用できるシステムだったからだ。
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白菜、水菜、ネギ、キノコ類、青菜といった山盛りの新鮮な野菜
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豆腐、マロニー、水餃子、うどん
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じっくり煮込まれたカレー
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本格的なスパイスが香るカオマンガイ(蒸し鶏の炊き込みご飯)
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中華スープや味噌汁
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ソフトクリームなどのデザート各種
これらがすべて、自由に取り放題だった。
鍋にたっぷりの野菜を投入し、ぐつぐつと煮立つのを待つ。
薄切りの肉をさっとくぐらせ、シャキシャキの白菜やネギと一緒にタレにつけて口へ運ぶ。
出汁の旨味と野菜の甘みが口いっぱいに広がり、思わず「これで十分すぎるね」と顔を見合わせた。
途中でカオマンガイを少しよそって味わい、箸休めにスープを飲み、最後は鍋の出汁にうどんを入れて締める。
さらに食後には、ソフトクリームと温かいお茶と一緒にいただいた。
食べ終えたとき、お腹は限界の一歩手前、心地よい満腹感で満たされていた。
もし最初に私の思いつき通り「肉食べ放題」を選んでいたらどうなっていただろうか。
元を取ろうとして義務感のように肉の皿を何枚もおかわりし、脂身で胃を重くし、野菜やデザートを楽しむ余裕もなく、席を立つ頃には身体のだるさに苦しんでいたに違いない。
30代後半を迎えた今の自分の身体にとって、本当に欲しかったのは「大量の肉」ではなく、「温かい鍋を囲み、たっぷりの野菜と美味しいサイドメニューを少しずつつまむ時間」だったのだ。
2. オプションを削ぎ落とした「税込み1,000円」の潔さ
もう一つ、今回の食事で徹底したことがあった。それは、店側が用意している様々な「有料オプション」を一切つけなかったことだ。
メニュー表には、魅力的な選択肢が表示される。
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「鍋のスープを2種類に分けられます(+200円〜300円)」
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「ソフトドリンクやアルコールの飲み放題バー(+300円)」
独身時代の私なら、深く考えることもなく「せっかくだからスープは2つの味を楽しみたい」「炭酸飲料も飲みたいからドリンクバーもつけておこう」と、次々にチェックを入れていただろう。
だが今回は、鍋のスープは基本料金に含まれる白だし1種類のみ。
飲み物も、ビュッフェコーナーにある水だけで済ませた。
実際に食事を進めてみて分かったのは、スープが1種類であっても、タレBAR(ポン酢、ごまだれ、薬味、ラー油など)を工夫するだけで味のバリエーションは無限に広がるということだ。
出汁自体を2つに分ける必要性は、まったく感じなかった。
また、温かい鍋料理を食べている最中に、甘い清涼飲料水や炭酸水をがぶがぶ飲む必要もなかった。
水が手元にあれば、口の中の脂っぽさを流すにはそれで事足りる。
有料オプションをすべて外し、基本のセットだけを淡々と楽しんだ結果、伝票に印字された金額は、一人あたり税込み1,000円。
二人合わせてもぴったり2,000円だった。
このインフレ下で一人1,000円で満足できる数少ないランチビュッフェである。
3. レジ前で見かけた、かつての自分の面影
満足感に浸りながら伝票を持ってレジへ向かうと、ちょうど私たちの前に、20代前半とおぼしき若い男性が一人で会計をしていた。
平日の昼間に一人で外食を楽しんでいる様子で、店員とのやり取りが耳に入ってきた。
「スープ2種変更と、ドリンクバー付きですね。お会計は〇〇円になります」
告げられた金額は、2,000円を優に超えていた。
その光景を見た瞬間、私の胸に浮かんだのは、優越感などではなく、懐かしさと少しの苦笑いだった。
「ああ、昔の自分とまったく同じだ」
独身時代の20代の頃、仕事帰りに一人で外食をするときや休日に外へ出たとき、私はいつもあのような注文の仕方をしていた。
外食チェーンに入れば、一番品数の多いコースを選び、スープを2種類にし、ドリンクバーをつけ、時にはトッピングをこれでもかと追加する。
「せっかくお金を払うのだから、できるだけ豪華にしたい」「ここで数百円をケチるのは格好悪い」という見栄のような感情もあったと思う。
あのレジ前の若者は、まさか自分の後ろに並んでいる夫婦の合計支払額が、自分の1人分の会計よりも安い2,000円だとは思いもしないだろう。
彼の行動が間違っているわけではない。
平日の昼休みに、好きなお肉を好きなだけ食べ、甘いジュースを飲み、好きなスープを選んで楽しむ。
それは立派な個人の自由であり、その時の彼にとっての大切な満足なのだと思う。
ただ、今の私にはよく分かる。
当時の私は、「本当は何が食べたいのか」「どれだけの量があれば満足できるのか」を自分でよく分かっておらず、ただ店側の提案する「全部入りパッケージ」に流されていただけだったのだ。
4. 満足のハードルを自分の手元に取り戻す
この日のランチを通じて痛感したのは、「自分が本当に価値を感じるポイントがどこにあるのかを知ること」の大切さだ。
世の中のビジネスは、基本料金を安く見せかけておいて、オプションやアップグレードによって客単価を上げるように作られている。
「プラス数百円で大盛りにできます」 「あと少し出せば食べ放題になります」 「スープの味を増やせます」
そう提案されると、人は「損をしたくない」「より多くの選択肢を持っていたい」という心理から、ついつい上位の選択肢を選んでしまう。
だが、冷静に自分の胃袋や好みに問いかけてみれば、実はいらなかったオプションが山のようにある。
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肉は3〜4皿あれば、大人の身体には十分すぎる
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スープは1種類でも、薬味とタレで十分に楽しめる
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糖分の多いジュースを何杯も飲むより、温かいお茶のほうが食後は心地いい
これらに気づくだけで、食事のクオリティや楽しさを何一つ落とすことなく、支払うお金を半分近くまで下げることができる。
我慢して食べる量を減らしたのではない。空腹を抱えて店を出たわけでもない。
お腹いっぱい野菜を食べ、美味しいお肉をつまみ、デザートまで堪能して、心から「美味しかった、楽しかった」と笑い合いながら店を出た。
それでいて、かかった費用は二人で2,000円ポッキリだったのだ。
浮いた2,000円から3,000円のお金は、手元に静かに残る。
その小さなお金をインデックスファンドの積立に回し、日々の生活を整える原資にしていく。
そうした日々のささやかな工夫の積み重ねこそが、結果として大きな資産を築く土台になっていくのだと思う。
5. 生き方は自由。だが、工夫次第で暮らしはもっと豊かになる
世の中には様々な生き方やお金の使い方がある。
平日の昼間から何千円もする豪華なランチを食べるのも個人の自由だし、食べ放題で限界まで肉を詰め込むのも自由だ。
誰がどうお金を使おうと、他人がとやかく言う筋合いはない。
ただ、高いお金を払わなければ得られない満足感は、いずれ日常に埋もれて麻痺していく。
刺激に慣れてしまえば、次はさらに高い店、さらに豪華な食事を求めなければ満たされなくなってしまう。
そうではなく、日常のチェーン店や身近な選択肢の中に、自分なりの工夫を見つけること。
「定量ランチでも野菜やサイドメニューを組み合わせれば、こんなに贅沢な時間になる」 「夫婦で美味しいねと言い合えるなら、派手な看板のコースを選ぶ必要なんてどこにもない」
そうやって、自分の頭で考え、自分にとっての「ちょうどいい塩梅」を見つけ出す力さえあれば、お金を湯水のように使わなくても、人生はいくらでも楽しく、豊かにすることができる。
店を出ると、平日の穏やかな陽射しがアスファルトを照らしていた。
満腹になりすぎず、胃ももたれず、軽やかな足取りで駐車場へ向かいながら、妻と次の休日の予定について話した。
無理をせず、背伸びをせず、見栄を張らない。
日常の中にある小さな工夫を楽しみながら、静かに、確実に日々の暮らしを積み重ねていきたい。